まつかぜ会
どなたでも自由にご記入下さい。
富士山の世界文化遺産登録を支援しましょう。

記入して送信した後、原則としてそのまま掲示板に表示
されます。 表示されるまで、時間がかかることがあります。

記 入 の 際 は
最初に必ず氏名と記入年月日を記入して下さい。
氏名の前の文字は無視されます。 説明
[メール様式で送信]

 ごあいさつ

 まつかぜ会は、静岡県賀茂郡松崎町を語り合う会です。 このページは会員・会員以外を問わず記入でき、松崎を思う多くの人々が気持ちを表し合うためのページです。 どんなに短くても構いません。会員以外の方々の声を歓迎します。

会長 松本晴雄


背景は雲見からの富士山です。鮮明な写真が最下部にあります。

掲 示 板・・ 掲示数累計 246 掲示番号の目次 掲示板の説明 画像掲示板 提案事項一覧

240松本礼二 24.4.21 >235について。こういう場合、やる気があれば、北海道知事を松崎町に招待するというのがとても効果的なことなのですが。日程は東京に来たついでに伊豆まで足をのばしてもらうとかで、知事の気持ちさえあれば何とかなるでしょう。経費の問題はありますが、(知事や町長の人気もあがることが予想されるというのは置いといて)実現性は低くないと思います。静岡新聞や北海道新聞も記者を寄こすでしょう。
241松本晴雄 24.4.24 「240について」。礼二さん、貴重なアイデア、ありがとうございます。かねがね町当局に「情報の共有化」を提案しているのですが、このような情報も無反応なのが現状です。ただ地元新聞だけを頼るだけの傾向では町の発展はないでしょう。この「まつかぜ会」のページものぞいてくれていないようです。
242松本晴雄 24.4.25 「九州と松崎」。われわれの頭脳では、依田勉三の関係で「北海道」との縁を強く感じる。それはそれとして、「江戸城の無血開城」は、勝海舟と西郷隆盛の会談によってなされたと思われるが、実はその前、駿府(静岡市)の松崎屋源兵衛宅で、山岡鉄舟と隆盛が会談して決められたのである。この松崎屋のルーツがわが松崎町であるか、私の課題である。現在、松崎町に「松崎姓」の人はいないが、鎌倉時代に「松崎」と名乗る地侍が割拠していた。調べていくと久留米藩の支藩に「松崎藩」が存在していたことが解る。寛文8年(1668)から16年間のことではあるが、この地は現在の福岡県小郡市松崎にあたる。内陸部である。ふつう松崎という地名は海岸線に多いことから、わが松崎町との縁を深く感じるのである。また、久留米藩士に松崎浪四郎という剣豪がおり、山岡鉄舟と関係がある。そして小沢一仙が松崎町江奈に匿ったという、伊東祐享(薩摩藩・のち海軍大将)がおり、この祖先は伊東市を本拠地とした伊東祐親の「祐」をいただいていることから、伊豆と深いつながりを感じる。始祖は飫肥藩主・伊東祐持で、足利尊氏のよって都於郡(西都市)300町があてがわれ、下向したのが初めという。また、柳川藩(福岡県)には曽我姓があり、「祐」をつけていることから、曽我十郎祐成をルーツとするのであろう。この曽我祐準の娘が、血がつながっていないのであるが、勉三の後妻・サヨと関係していることも面白い。なお、松崎屋は「松印・醤油醸造元、合羽屋、桐油屋」、旅籠「松坂屋」も営業していたようである。たぶん松崎町をルーツとし、松坂へ住み着きそこから駿府へ移住したのであろう。
243船津好明24.4.27 242伊東祐親について。江戸時代に伊豆各地について詳しく書かれた文書「伊豆志」は、伊東祐綱が書いたものですが、祐綱の先祖は祐親に違いないとの書評があります。伊東家は傑出した人物が多いですね。富貴野山の女谷の情報源も祐綱の「伊豆志」です。 
244松本晴雄 24.4.27 「カマクラ号建造プロジェクト」。23日、雨の中を行われたハワイアンカヌー建造セレモニー、感動的でした。その説明がないままでは惜しいと思います。「カマクラ号」で検索すると、次のようなサイトが出てきました。http://www.kamakurago.com/   ブログhttp://kamakulago.exblog.jp/  これから旧港波止場においてハワイアンカヌーが建造が行われます。このHPを見られてから見学すると、より興味をそそられると思います。  写真1 写真2 写真3 写真4
245松本晴雄 24.4.29 「伊豆文邸で琴の調べ」。本日、伊豆文邸で琴の会がありました。これから毎月第2・第4日曜日の午前10〜午後2時に行う予定です。古民家の琴の調べ、それはステキです。  写真1 写真2 写真3 写真4
246松本晴雄 24.5.15 「菅井文庫」。松崎小学校図書室に長年寄贈を続けられている人がいる。菅井雅一氏である。平成19年に亡くなられているが、現社長・克江さん(よしえ・次女)がその遺志を引き継がれておられる。生まれ故郷を思う現れで、有難いことである。だが、案外にこのことは知られていない。私でさえ、本屋のおばさんから聞いてこのことを知ったほどだ。最近、松崎小学校の先生に聞いたのだが、謙虚な方であったようである。しかし、知らないでいることは、許されることではない。私のような男は、氏が創始した「京浜港運」http://www.keihinkoun.com/にお願いして略歴を入手した。横浜コンテナターミナル事業協同組合(YCT)設立に尽力され、平成9年より亡くなるまで初代理事長をされた人物なのだ。松崎町からこのような人物が育ったこと、これを知って本を読むのと、読まないとは、大きな違いが生じるだろう。  写真