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まつかぜ会 どなたでも自由にご記入下さい。 |
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![]() | 背景は雲見からの富士山です。鮮明な写真が最下部にあります。 | ![]() |
| 241松本晴雄 24.4.24 「240について」。礼二さん、貴重なアイデア、ありがとうございます。かねがね町当局に「情報の共有化」を提案しているのですが、このような情報も無反応なのが現状です。ただ地元新聞だけを頼るだけの傾向では町の発展はないでしょう。この「まつかぜ会」のページものぞいてくれていないようです。 |
| 242松本晴雄 24.4.25 「九州と松崎」。われわれの頭脳では、依田勉三の関係で「北海道」との縁を強く感じる。それはそれとして、「江戸城の無血開城」は、勝海舟と西郷隆盛の会談によってなされたと思われるが、実はその前、駿府(静岡市)の松崎屋源兵衛宅で、山岡鉄舟と隆盛が会談して決められたのである。この松崎屋のルーツがわが松崎町であるか、私の課題である。現在、松崎町に「松崎姓」の人はいないが、鎌倉時代に「松崎」と名乗る地侍が割拠していた。調べていくと久留米藩の支藩に「松崎藩」が存在していたことが解る。寛文8年(1668)から16年間のことではあるが、この地は現在の福岡県小郡市松崎にあたる。内陸部である。ふつう松崎という地名は海岸線に多いことから、わが松崎町との縁を深く感じるのである。また、久留米藩士に松崎浪四郎という剣豪がおり、山岡鉄舟と関係がある。そして小沢一仙が松崎町江奈に匿ったという、伊東祐享(薩摩藩・のち海軍大将)がおり、この祖先は伊東市を本拠地とした伊東祐親の「祐」をいただいていることから、伊豆と深いつながりを感じる。始祖は飫肥藩主・伊東祐持で、足利尊氏のよって都於郡(西都市)300町があてがわれ、下向したのが初めという。また、柳川藩(福岡県)には曽我姓があり、「祐」をつけていることから、曽我十郎祐成をルーツとするのであろう。この曽我祐準の娘が、血がつながっていないのであるが、勉三の後妻・サヨと関係していることも面白い。なお、松崎屋は「松印・醤油醸造元、合羽屋、桐油屋」、旅籠「松坂屋」も営業していたようである。たぶん松崎町をルーツとし、松坂へ住み着きそこから駿府へ移住したのであろう。 |
| 243船津好明24.4.27 242伊東祐親について。江戸時代に伊豆各地について詳しく書かれた文書「伊豆志」は、伊東祐綱が書いたものですが、祐綱の先祖は祐親に違いないとの書評があります。伊東家は傑出した人物が多いですね。富貴野山の女谷の情報源も祐綱の「伊豆志」です。 |
| 244松本晴雄 24.4.27 「カマクラ号建造プロジェクト」。23日、雨の中を行われたハワイアンカヌー建造セレモニー、感動的でした。その説明がないままでは惜しいと思います。「カマクラ号」で検索すると、次のようなサイトが出てきました。http://www.kamakurago.com/ ブログhttp://kamakulago.exblog.jp/ これから旧港波止場においてハワイアンカヌーが建造が行われます。このHPを見られてから見学すると、より興味をそそられると思います。 写真1 写真2 写真3 写真4 |
| 245松本晴雄 24.4.29 「伊豆文邸で琴の調べ」。本日、伊豆文邸で琴の会がありました。これから毎月第2・第4日曜日の午前10〜午後2時に行う予定です。古民家の琴の調べ、それはステキです。 写真1 写真2 写真3 写真4 |
| 246松本晴雄 24.5.15 「菅井文庫」。松崎小学校図書室に長年寄贈を続けられている人がいる。菅井雅一氏である。平成19年に亡くなられているが、現社長・克江さん(よしえ・次女)がその遺志を引き継がれておられる。生まれ故郷を思う現れで、有難いことである。だが、案外にこのことは知られていない。私でさえ、本屋のおばさんから聞いてこのことを知ったほどだ。最近、松崎小学校の先生に聞いたのだが、謙虚な方であったようである。しかし、知らないでいることは、許されることではない。私のような男は、氏が創始した「京浜港運」http://www.keihinkoun.com/にお願いして略歴を入手した。横浜コンテナターミナル事業協同組合(YCT)設立に尽力され、平成9年より亡くなるまで初代理事長をされた人物なのだ。松崎町からこのような人物が育ったこと、これを知って本を読むのと、読まないとは、大きな違いが生じるだろう。 写真 |
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