徳富蘇峰の「伊豆遊記」は、伊豆循環鉄道のテキスト本として、昭和元年 に書かれたものである。これが全線開通したら、現在のように西伊豆観光は取り残されなかったろう。そのうえ全国交通網が完備されると見向きもされなくなる。この再生には、原点 にかえることである。それは海路の復活と、地場産品への真剣な取り組み、自分磨きである。その原点、蘇峰の富士山の一文を紹介しよう(松本記)。▲ ここから三申君および子浦よりの一行と別れ、我らは佐野仁科村長、山本前村長、勝呂土肥村長(明治館創始者)および小泉君を代表して、我ら一行の世話人たる鈴木信一君らと、(再び)石油発動機船にて、土肥に向かった。▲ 『行く行く右舷に見ゆるは、田子および安良里である。田子、安良里は鈴木子順老師の郷里にて、老師はしばしば予に向かって、その山水の美を讃称せられたが、今来たり観て、その所聞に優るものあるを知った。▲しかしてこの海岸か らの富士の眺めは、また一層であった。ある人は赤人の詠じたる、田子の浦の富士とは、駿州のそれでなく、伊豆のそれであると言うた。▲そは聊(いささ)か手前味噌たるを免れざるも、右には奇しょう(山+章)、怪がん(山冠+品) が、幾千百年、太平洋の風涛と相撲(あいう)って、その悪戦苦闘の名残を留め、左には渺茫限りなき駿河湾を望み、しかして当面には、海を隔てて、雲外に富士山の銀冠を仰ぐ。かかる光景は、駿州にも無きところ、必ずしもそれと競争する必要はあるまい。』と。 |