拝殿修理・完成 修理画像1 修理画像2 修理画像3  完成画像1  完成画像2

 改修趣意書
伊(い)那(な)下(しも)神(じん)社(じや)の拝(はい)殿(でん)は 文(ぶん)政(せい)元(がん)年(ねん)(1818)今(いま)から
約(やく)二百(にひやく)年(ねん)前(まえ)に造(ぞう)営(えい)されたもので、当(とう)時(じ)は茅(かや)葺(ぶき)であったもの
を大(たい)正(しよう)十(じゆう)二(に)年(ねん)(1923)の大(だい)改(かい)築(ちく)の際(さい)に瓦(かわら)葺(ぶき)に
しました。
その後(ご)、昭(しよう)和(わ)四十九年(ねん)の伊(い)豆(ず)半(はん)島(とう)沖(おき)地(じ)震(しん)により大(おお)きな
損(そん)傷(しよう)を蒙(こうむ)り、柱(はしら)が傾(かたむ)き雨(あま)漏(も)りが激(はげ)しくなった為(ため)、
昭(しよう)和(わ)五十四年(ねん)(1979)には、屋(や)根(ね)は銅葺(どうぶき)に、大(おお)柱(ばしら)は鉄(てつ)の
型(かた)枠(わく)で補(ほ)強(きよう)し、その都(つ)度(ど)、修(しゆう)理(り)改(かい)修(しゆう)を重(かさ)ねてきました。
しかしながら、高(こう)湿(しつ)度(ど)な神(じん)社(じや)の聖(せい)域(いき)は大(おお)柱(ばしら)の根(ね)元(もと)、
基礎回りをを腐(ふ)朽(きゆう)させ、早(そう)々(そう)に改(かい)修(しゆう)の要(よう)を痛(つう)感(かん)し、意(い)を
決(けつ)した次(し)第(だい)です。
 代々(よ よ)守(まも)り継(つ)いで下(くだ)さった私(わたし)たち祖(そ)先(せん)は、いつの時(じ)代(だい)もこの
御(み)社(やしろ)を心(こころ)のよりどころとして心(こころ)明(あか)るく逞(たくま)しく生(い)きてきました。
今(こん)回(かい)、拝(はい)殿(でん)改(かい)修(しゆう)にあたり周(しゆう)辺(へん)の整(せい)備(び)にも怠(おこた)らず、
参(さん)詣(けい)される方(かた)々(がた)の心(こころ)の癒(いや)される『ふるさと松(まつ)崎(ざき)の氏(うじ)神(がみ)さま』
として補(ほ)修(しゆう)整(せい)備(び)いたしたく、氏(うじ)子(こ)崇(すう)敬(けい)者(しや)の御(ご)理(り)解(かい)ある
御(ご)寄(き)付(ふ)を頂(いただ)き、この事(じ)業(ぎよう)を進(すす)め、以(もつ)て郷(きよう)土(ど)の平(へい)安(あん)と
繁(はん)栄(えい)を祈(き)念(ねん)するものであります。
何(なに)卒(とぞ)、力(ちから)強(づよ)い御(ご)支(し)援(えん)と御(ご)協(きよう)力(りよく)を賜(たまわ)りますよう
お願(ねが)い申(もう)し上(あ)げます。
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松崎護国神社 画像1 画像2 画像3

終戦70年 平和を祈る
今年は大東亜戦争終結七十年の節目の年です。英霊に感謝と慰霊の真心を捧げましょう。
靖国神社及び護国神社は、幕末維新以来、日清戦争や日露戦争、大東亜戦争などの国難に際して、我が国のために尽くし、
尊い命を捧げられた方々の御霊をお祀りする神社です。
松崎護国神社は、郷土松崎の出身者560有余柱をお祀りしています。
御祭神は、今日暮らす人々を、日々あたたかく見守っています。英霊に守っていただいた国に、私たちは生きています。
その時代に生きた人々が何を目にし、何を感じていたのか。そこにある大切な心をかみしめ、今日を生きる私たちが、
英霊に対する感謝と慰霊の心をもって、日本の素晴らしい国柄を次の世代に伝えてゆきたいものです。
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長八の作品 画像1 画像2

伊豆の長八 生誕200年

名工 入江長八
鏝先の妙なる業(わざ)は松崎の名も世の中にひろくしられつ
雲を呼び空を趣けむ其のさまの龍の技術(わざ)ぞ実にもすぐれし
つき榊伊豆を名に負ふ入江大人(うし)鏝の聖よその道の神
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