目通りの太さ8メートル 樹齢約一千年(母のいちょう)、西方の眼鏡いちょう(夫のいちょう)、東方の子いちょうと共に親子公孫樹と称せられました。
社頭を仰ぎて(親子公孫樹)
「牛原山の麓 伊那下のみ社にてる大公孫樹は龍根大地に広がり、枝葉社頭を蔽ひて、亭々として中空に聳へたる、まことに千年の老木にして黄雲の掛かれるが如き、その紅葉はいにしへ舟人等のこよなき渡海の標なりきと言ひ伝へらるるも、希にもと思われて、うたた歴史の悠久と、自然の偉大とに驚かるる。
凡そ世の大社旧祠を訪ねて其の霊威に打たるゝは、皆これ斯かる大樹名木のありて、荘厳の様を添ふるが故なるべく、今この神苑に立ちて、儼として神さびたる大樹を仰き見る時は、誰か宮居の威力に民族の偉大性を想ひて、永久に神霊の宿れるかを窺ひ、自ずから襟の袖を正さざるものあるべき。
注連縄を張り廻らせる大双幹を囲へる忌垣の傍らなは、湧玉の真清水滾々として流れ出て、神域清らかに、心身自ら澄み渡りて、萬化と瞑合し、言ひ知れぬ浄界に誘致せらるゝ神秘は実にこれ由緒遠く沿革の古きを感じ、且つは自然の奇しき崇高なる大自然の霊威のして敬神崇祖の精神もかゝる所より発することこそ覚ゆれ。
昭和九年甲戌十月」